フランス革命の先行きを憂慮していたルイ16世は、立憲君主派のミラボーの死を機に、
王妃マリー・アントワネットの実家であるオーストリアへ逃亡することを企てた。
マリー・アントワネットの愛人であるスウェーデン貴族フェルセンの策謀もあった。
だが、マリー・アントワネットの我が儘で、馬車のサイズや内装を特注にしたことなどにより、
脱出は当初の予定より1ヶ月以上遅れた。
1791年6月20日の夜、ルイ16世一家は、テュイルリー宮殿を馬車で出発。
翌21日、過積載により馬車の速度も出ないまま、
予定より4時間以上も遅れて国境近くのヴァレンヌに到着。
しかし、既に事前に雇用した憲兵は全員解散し、帰還した後だった。
事情を地元の住人に尋ね歩いた国王が正体を見破られてフランス軍に捕えられ、
6月25日、国王一家はテュイルリー宮殿に連れ戻された。
この事件は、フランス国民に多大な衝撃を与え、
同時にルイ16世の反革命思考が暴露されることともなり、
結果、それまでは国王擁護の立場をとっていた国民も含めて革命は急進化、
共和政の樹立につながることとなった。

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考えてみれば、フランス革命の端緒とも言える球戯場の誓い(きゅうぎじょうのちかい)
serment du jeu de paume)(テニスコートの誓い)
1789年6月20日
マリー・アントワネットの愛人で、国外逃亡も手引きした、
スウェーデンの名門貴族のフェルセン(フェルゼン)伯爵が惨殺されたのも、
1810年6月20日

フランス革命にまつわる不思議な偶然の一致です。


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